Miskoe城址
Miskoe城址の概要
マイスコエ西方、ハンカ湖周辺に広がる低地に位置するコミサロフカ川右岸に位置する平城。城壁は、北側約130 m、東側約124 m、西側約127
m、南側約157 mと、南側が長く平面形は不整台形となる。城壁の遺存状態は比較的良好で、現高2 〜 3m、下面幅約7m、上面幅約1m を測る。南北城壁には、どちらも中央軸からずれて城門が付いている。
Miskoe城址の景観
城址を中心に小山を含めた全体の範囲が当時の街と考えられている。城内は中央部から北側に高まりが見られる以外は平坦である。城内東側部分で発掘調査されており、複数時期の資料が得られているようである。初期の遺構は住居と井戸が、後期では柵跡が見つかっている。渤海から13
世紀代までの長期に渡り繰り返し利用されたと考えられている。
隅楼
北側城門でも短い土塁が付加されているが、平入りである。角楼を持ち、東西城壁のほぼ中央には馬面が付く。馬面・角楼ともに上面は長楕円形で幅・長さとも約3m
である。また東北隅の城外には高さ約30 〜 50cm の土手が巡り、城壁の間に幅約4m の堀を形成している。深さは50cm と浅く、断面形は浅い擦鉢状を呈しており、埋没が進んでいる。南側や南西側、北西側の所々で、このような城外の土手が確認でき、城址全体を囲うように堀が巡っていたものと思われる。