女真の城郭
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日本列島中心部では鎌倉幕府が成立し、列島北部では最後の土器文化が終焉を迎える12 世紀、日本海を挟んで対岸の大陸北東部では1115 年、女真集団出身の完顔阿骨打により金が建国される。金朝成立後には上京会寧府、次いで燕京に都が置かれ、蒲與路・故里改路・恤品路等の各行政府が設置されていった。そして、その下位にはそれぞれ猛安・謀克の行政組織が編成された。13 世紀にはモンゴル勢力の勃興と侵攻に伴い、女真族の一派が金から独立し、上京から恤品路・曷懶路にかけて東夏(大真)を建国した。その後、モンゴルの侵攻によって1233 年に東夏が、1234 年に金がそれぞれ滅亡する。
このような背景を有するロシア沿海地方では現在約50 箇所の当該期の城郭が確認されている。
ロシア沿海地方における女真城郭

図2 2004〜2007年の3年間で調査を実施したロシア沿海地方 金・東夏代城郭分布

 
 









図1 金・東夏代の北東アジア