チントルゴイ城址の概要
チントルゴイ城址は、トーラ川支流の旧河道に形成されたツァガンノ−ル湖周辺の低地に囲まれた微高地部分にあります。北側には契丹時代に烽火台が置かれ、地名推定の根拠となっているチントルゴイ山があります。
城壁は南北約1250m、東西約650mで、長方形を呈し、内部は内城壁によりさらに南北に2分されています。城壁は現存で高さ約4〜5m、基底幅約30m、外側には堀がめぐり、さらにその外に低い土塁がめぐっています。門はすべて外側に補助的な城壁を取り付ける甕城の形態をとっています。城壁には100m前後の間隔を置いて張り出し(馬面)を設け、4隅には角楼(すみやぐら)を設置しました。北城北部は大型建物が配置され、礎石(そせき)・瓦が散布しています。さらに城の西側には城外施設基壇建物、市街地部分が存在しています。
チントルゴイ城址について
日本隊の調査
日本隊は2006年〜2008年までの三ヵ年をかけて、城壁と城郭内部・外部の構造物の測量を実施しました。
また、2008年には城の南門の南東約200mの場所で発掘調査を実施し、土器窯址が発見されました。
チントルゴイ城址の歴史的背景
モンゴル高原に防備と交易拠点の為に本格進出を果たした遼は、1004年に「鎮州」、「防州」、
「維州」の辺防3州を設置しました。トーラ川流域のチントルゴイ城址、西に約26kmにあるハルブフ城址、東に約22kmのオランヘレム城址がこれら3州に当ると推定されています。
またチントルゴイ城址は、「鎮州」城址に当るだろうと推測されています。