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2009年度ゼミ論

      アメリカ人にとってスポーツとは何か


                                            小山 千晶


 本稿は、アメリカ人にとってスポーツとは何かについて考える。アメリカ人という人種が一つに限定出来ないことや、アメリカの多民族国家として属性を考えると、答えを一つに限定することは困難かもしれないが、筆者の個人研究とゼミの活動で学んだことを基に、考察したい。

 「アメリカ人にとってスポーツとは何か?」について考察するにあたり、筆者は以下の3つをキーワードとしてあげたい。 A) 差別社会、B) 平等主義、個人主義、C)アメリカンドリーム。

 A)差別社会。 アメリカは、「人種のるつぼ」と言われているほど、1つの国に多種多様な民族、出身国の人が暮らす国である。それゆえにアメリカでは、どのような分野においても差別が問題になる。それは、スポーツの世界においても例外ではない。過去には、NBA選手の80%が白人であり、アメリカで野球リーグが初めて結成された1857年には、1名でも有色人種のいるクラブはリーグへの加入が出来なかった。アメリカが、異なる民族の集合場所のような国である以上、この国が差別社会でなくなることはなかろう。アメリカでは、多くの人が肌の色の違いによって人を見ている。アメリカ人にとってスポーツが何であるのかを考えるとき、先ずは上記のようなアメリカの根本的社会背景があることを知っておきたい。

 B)平等主義、個人主義。差別社会というアメリカの社会背景は、近年のアメリカ国民に「平等主義」、「個人主義」という考え方を持たせる一因となった。ここでいう「平等主義」とは、結果の平等ではなく、「機会、スタートラインの平等」である。さらには、ここでいう「個人主義」とは、同じスタートラインが与えられている以上、どのような結果になろうとも、それは個人の責任であるという考え方である。「平等主義」によってアメリカ人は、他民族に対して劣等感を持たずに物事に取り組める。そして、「個人主義」によって結果的に成功したときも失敗したときも、それは個人の行いの結果であり、人種を言い訳に出来ないのである。日本との違いは、日本人は、結果の平等を求める所ではないだろうか。一見、結果も平等の方が、皆が幸せになれるような気もする。だが、アメリカのように他民族の平等を求める社会においては、差別されない事こそが大切である。しかも、その幸せとは、機会が平等に与えられることで守られるのである。興味深いことにアメリカでは「平等主義」+「個人主義」=「結果が不平等な平等主義」である。これこそが、アメリカ人の納得する「平等」の形なのである。

 C)アメリカンドリーム。「競争主義」という考え方がある。アメリカの考え方は、往々にして相互に作用しあうものである。「平等主義」と「個人主義」によって生み出される「人種よりも個人の努力や才能を重視する考え方」は、「競争主義」を生むのである。だからアメリカでは、先天的な要因に左右されずに万人に成功できるチャンスがある。この事が、アメリカに住む人々にアメリカンドリームという気持ちを抱かせるのである。実際にスポーツでアメリカンドリームを実現した有名人の中には、NBAのアレン・アイバーソンのような貧しい環境で育った前科者の黒人もいれば、ラリー・バードのような白人もいる。

 アメリカ人があれほどスポーツに心を寄せるには、やはりアメリカだからこその理由があったといえよう。 人種のるつぼであるアメリカにおいて、「平等である事」は非常に重要な事である。スポーツは、人種に関係なく平等なスタートラインが与えられた競いごとである。スポーツの世界は、今黒人優勢とされているものが少なくない。この「平等」をスポーツに求めているのは、白人も同じなのである。スポーツには、「アメリカ人の求めている平等」があるのだ。



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