中村(敦志)研究室
       
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2006年度ゼミ論
                               

   ヒップホップはなぜ生まれたのか

                        戸 沢 美 希


 1970年代から80年代にかけ、ヒップホップが誕生する。この頃、ニューヨーク市のサウスブロンクスやハーレムでは、年間1万2千件にも及ぶ放火によって、30万人が街を去った。焼け落ちたビルとその瓦礫(がれき)、回収されないまま路上に溜まり続けたゴミのため、街は無残に荒廃していった。そうしてゲットーと呼ばれる貧民街へと変貌し、次第にギャングなどが街に蔓延(はびこ)り、略奪や殺傷事件が多発するようになる。

 ところで、ヒップホップ・カルチャーの四大要素とされるのが、DJ、MC(ラップ)、ブレイクダンス、グラフィティである。近年日本では、ヒップホップは、音楽やファッションの一種として若者の間に浸透している。しかし、本来ヒップホップとは一つの文化を指す言葉である。ヒップホップがそのように捉えられ難いのは、その精神が音楽やダンスという形式でもって表現されているからである。ヒップホップ史上で最も重要な人物、アフリカ・バンバータ(Africa Bambaataa)は、サウスブロンクスの出身であり、DJとして活躍していた。そして、1973年に”Universal Zulu Nation”を結成し、音楽を使って人々にメッセージを広める活動を始める。そのメッセージとは、「同じスラム街で人種差別や貧困に苦しむ者同士が血を流し、殺しあうなんて間違っている」、「争うのなら、その文化で争えば血は流れない」という思想であった。この訴えは多くの人々の心を動かし、人々は競い方をダンスや歌に変え、血が流れることもなくなった。”Universal Zulu Nation”が信じたものは、自由、平等、平和、ハーモニーだった。こうして、ヒップホップの精神が確立されていった。

 ヒップホップは反抗の文化と呼ばれ、社会に対する意思表示の手段であった。当時はまだまだ黒人に対する差別や偏見が色濃く存在していた。ヒップホップが人に与えてきたもの。それは、自己表現の場とそれによって得られるプライドだった。自分自身を自由に表現することで、彼らは自身の存在意義を見出していたのである。つまり、彼らは自由に近づき追い求めるための手段として、新たな自由を生み出したのではないだろうか。ヒップホップの精神こそ、自由なのである。彼らには、自分を誇りに思う心が必要であった。また、怒りの攻撃のようなパフォーマンス様式を生み出すきっかけとなったものは、抑圧的な社会条件、それ以外の何ものでもなかったのである。不良の文化とも呼ばれたヒップホップは、アメリカという国に対して黒人達が送ったメッセージだったのではないかと思う。

 ヒップホップはなぜ生まれ、なぜ必要だったのか。それは、アメリカという国の中に隠された「影」の存在を知らせるためである。その影を覆い隠し、影から目を逸らしてきた政治・社会に対して反発するためだったのである。表面上の華やかな世界ばかりを映し出していては、差別も貧困も解決しない。今日も薬物中毒やHIV、飢えなどに苦しむ多くの人々が影で生き続けているのだ。ヒップホップは、弱い立場の人々がそれらを外側へ発信し認識してもらうための方法の一つだったのである。ストリートで自然に形成されていったこのヒップホップという文化は、アメリカの現実を訴えているのである。
  

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