中村(敦志)研究室
       
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2006年度ゼミ論
                               
   アメリカに根付くバスケットボール

                         大須田 美季


 バスケットボールと一言に言っても、アメリカにはNBAやストリ−トバスケ、Showとして観客を楽しませる試合等さまざまな種類がある。1891年に冬季に行えるスポーツとして考案されたバスケットボールは、約100年の歴史の中でどのように発展してきたのか。NBAやストリートバスケを例に挙げ、そしてその日本との違いについても論じてみる。

 バスケットボールプレイヤーには黒人が多くみられる、つまりアフリカ系アメリカ人のことである。かつて奴隷としてアメリカ大陸に連行された西アフリカ系の黒人は、時が経ち奴隷制から解放された後も、貧困層の多くを占めてきた。そんな彼らにとって、バスケットボールはボールとゴールがあれば一人でもできる、貧困でも手の届きやすいスポーツである。さらに、彼らはバスケットボールなどのスピードが必要とされるスポーツに向いた体格をしていた。また貧困層のアフリカ系アメリカ人は、同胞を犠牲にしたドラッグ販売、強盗などを生活手段にせざるを得なくなり、このような状況でヒップホップ文化が生まれた。このヒップホップ文化の中にはバスケットボールも含まれていて、アメリカではこの関係は切っても切り離すことのできないものだと知られている。このことが顕著に現れているのがストリートバスケである。

 ストリートバスケは「いかに観客を沸かして勝つか」という過程を重視したプレイスタイルである。1900年初期、ニューヨーク(ハーレム)とワシントンD.C. で、遊びの延長として生まれたこのスタイルは、当初からただの娯楽ではなかった。試合をする体育館のステージでバンドが流行のナンバーを演奏し、試合後には観客はバンドの演奏に合わせてフロアでダンスをしていた。観客は音楽と試合の両方を楽しめたのだった。これを原型に今ではバンド演奏ではなく、DJによるヒップホップ音楽が流れ、MCによる派手な実況、観客たちによる歓声や野次、プレイヤーによるエキサイティングな試合があり、最高のエンターテイメント空間だといわれている。

 日本は最近になってバスケットボールに対する環境が少しずつ進歩してきている。2005年11月には日本初プロバスケットボール「bjリーグ」、同じく日本初のストリートボールリーグが誕生した。このストリートボールリーグでもアメリカと同様にDJによる音楽とMCによる実況があり、ヒップホップ文化が反映されている。日本人のバスケットプレイヤーといえば田臥勇太が有名だが、彼よりも早くから本場のストリートやプロリーグ等で経験を積んできた、森下雄一郎という選手がいる。AND1(シューズメーカー)主催のイベント「AND1 MIX TAPE TOUR」はAND1チームと新人オーディションで合格したストリートプレイヤーが戦うもので、実力があればAND1チームに登録されるものである。彼は2005年日本人初、AND1チームの新人オーディションで選ばれた。今年のツアーは彼の実力が評価され、AND1に招待されての参戦となった。彼は「SAMURAI」と呼ばれアメリカでも名前の知れ渡る選手である。

 日本とアメリカにおけるバスケットボールの持つ歴史や文化の背景や重みはもちろん違う。しかし現時点で日本人が世界に通用しないのは日本のバスケットボールの環境が整っていないというのが1つ挙げられる。極端だが、日本のバスケットボール界が、アメリカのように、もっと多くプレイできる環境にあったとしたら、世界に通用していたかもしれない。日本はバスケットボールができる場所が少ない。そのため、他人と競争することもアメリカに比べ劣る。アメリカではNBAで活躍できなくてもNBAを目指す人のためのリーグがあり、他にも才能を発揮する場所はたくさんある。日本では才能があっても実業団チームやプロチームには入れなかった場合の活躍の場は少なく、才能を出せなくなっていた。近年では他国のレベルも上がり、NBAで活躍する外国人選手も徐々に増え、必ずしもアメリカが最強とはいえなくなった。日本でもより多くバスケットボールができる環境を増やし、日本流のバスケットを確立させれば、世界に通用するプレイヤーが多く現れる日が来るだろう。

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