中村(敦志)研究室
       
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2006年度ゼミ論
                               
                ディズニーの夢

                                      伊藤 恵麻

 ウォルト・ディズニー(1901−66)が、1955年にカリフォルニア作ったディズニーランドには、アメリカの西部開拓時代の歴史、アメリカの未来への希望、そして、現実にありそうでないが、あってほしい夢の世界がある。ディズニーはアメリカの西部開拓時代の歴史をもとに「フロンティアランド」を作り、そこは楽しい世界になった。しかし、西部開拓時代の本当の歴史は楽しいことばかりではなく、辛いこともたくさんあった。この差がまず私の最初の疑問になった。また、ディズニーの生涯を調べていくうちに、彼は決して楽しい子ども時代を送っていなかったことが分かった。では、なぜ彼はディズニーランドを作り、その中にアメリカの歴史や未来を作ったのか。これらの疑問についても解明していきたい。

 まず、フロンティアランドでは、西部開拓を思い出させるアトラクションが多い。この時代は誰もが、土地を切り開くため必死に働いていた。カウボーイも開拓者も農家も決して豊かではなく、壮大な自然と闘っていた。しかし、その厳しい生活の中でも家族の団欒(だんらん)などに幸せを感じていた。また、ディズニーは小さい頃から働いて家計を助けていた。いくら働いても賃金は全て父親に取られ、父親の厳しいしつけや体罰の中で生きてきた。しかし、6歳までいたミズーリ州の生活が幸せで忘れられなかったと話している。そのことから私は、彼が作りたかったのは、何の悩みがなく未来に希望を抱いていた6歳までの自分の世界であり、幸せな人々が存在する世界だと思う。また、この頃にいたアメリカ国民にとっては、子どもの頃の思い出に浸れる場所であり、知らない人にとっては、昔のアメリカの中に入っていける貴重な場所である。

 また、ディズニーが「トゥモローランド」を作ったのは、アメリカ国民やディズニー本人も、時代の急速な発展や膨大なエネルギーの中に不安を感じていたからだと思われる。そして彼はその不安を解消するためには、自分でエネルギーを使ってみて、正しい使い方を知り、それを人々に見せればいいと考えた。つまり、トゥモローランドとは地球と宇宙の実験都市なのである。

 ディズニーランドとは、ディズニーにとっては人生であり心である。彼は楽しい子ども時代ではなかったので、もう一度子ども時代からやり直そうとしている。つまりディズニーランドにあるのは彼の本物の記憶から嫌な部分を除いて、または作り変えて、彼がこういう子ども時代を送りたかったというもの。そして、こういう夢を描いて、こういう未来になってほしいという、彼の中での理想の人生ができている。もちろんそれは、彼の本物の人生をもとに作られた想像上の人生である。

 次にディズニー以外にとってのディズニーランドとは何か、考えて見た。それは、時に家族や友達と楽しいひと時を過ごせ、時に物語から友情や愛の大切さを学び、時に英雄やプリンセスになることができ、時に故郷に帰ったような懐かしさを感じさせ想いに耽り、時に未来への不安を希望に変えることができる場所である。ディズニーランドに来る人には様々な目的があり、何かを得て帰っていく。そして、来る人はただエンターテイメントを見に来ているのではなく、何かを経験しにきているのである。

 私はディズニーの生涯を知り、そして思う。どんなに楽しいことも辛いことも、未来の自分を作るのに必要不可欠なものなのだ。彼の人生が少しでも違っていたら、今のディズニーランドは生まれなかったかもしれない。また、アニメを作ろうとさえ思わなかったかもしれない。どんな道を選ぶかは自分次第だが、例え、困難な道を選ぼうが逃げようが、どちらも正しい道なのである。なぜなら、その道を通ったおかげで、今の自分になれたのだから。

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