中村(敦志)研究室
       
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2006年度ゼミ論

        ラスベガスを変えた
       3つのターニングポイント

                           岡田 香織


 私は、アメリカ文化を考える上で、一つの都市に絞って考えてみることにした。その都市は、ラスベガスだ。それは、ラスベガスがギャンブルで有名な街だからである。ギャンブルとは、賛成派には、そのスリルと、勝ったときの喜びが何とも言えないくらい楽しいのであるが、反対派からすれば、お金などのモノを賭けるという行為自体がタブーなのだろう。けれども、なぜラスベガスはそのギャンブルで成功を収めることができたのだろうか。私は、そのタブーを主として街を発展させたラスベガスの発展が一つのギャンブルのように思える。

 まず、ギャンブルにはいくつかのターニングポイントがある。このラスベガスの発展という巨大ギャンブルにも、いくつかのターニングポイントがあった点について論じる。
 
 1つ目のターニングポイントは、1931年に起こった。ギャンブルの合法化である。1929年の大恐慌により落ち込んだ経済を立て直す手段として、さしたる産業の無かったネバダ州は税収確保の為にギャンブルを合法化した。私は、合法化をすることにより、ギャンブルという行為に正当性が生まれたと思う。
 
 2つ目のターニングポイントは、客層の変化である。その始まりは、1974年に東部ニュージャージー州でもギャンブルが合法化されたことだ。この頃にはカジノホテルが多くのリゾート地でも見られるようになり、ラスベガスまで行かなくても身近な街で遊べるようになった。つまり、「ラスベガスは都市としての集客力をつける必要がでてきた」のである。そこで、ラスベガスがとった手段は街全体のテーマパーク化だ。豪華なホテルに大人も子どもも楽しめるようなアトラクションができ、いかに独自性に富んだ魅力あるアトラクションを実現させるかが集客力の鍵となった。ただ成功していくホテルを真似するだけでなく、それぞれのホテルがオンリーワンを目指して試行錯誤し、独自性を探り当てたことにより、そのホテル自体が大きなアトラクションになったと思う。これにより、ラスベガスは大人だけでなく家族で訪れることのできる街となり、「ギャンブルと大人の街」から「ファミリーとトータルエンタテイメントの都市」として脱皮することができたのである。

 3つ目のターニングポイントは、マフィアの駆除である。ラスベガスの原型を作った男は、有名なギャングのベンジャミン・シーゲルという男だ。のちに、映画『バグジー』(1991年)として取り上げられるほど、彼のラスベガスへの貢献は大きなものであった。当時、ほとんどのカジノに不正が多く危険だった。そこで、州政府はゲーミングに関する法律・ルールを制定する制限と、ライセンスの無効を宣言する権限を持ったのだ。そして、ブラックリストを作り、リストアップされた人物はカジノの中に一歩も入れなくなり、これに背いた経営者は、ただちにライセンスを没収された。そして、ラスベガスのゲーミング産業は徐々に健全化されたのである。

 このような3つのターニングポイントを上手に活かし、ラスベガスという都市は発展してきたのである。世間的に悪いイメージの強いギャンブルだが、イギリスでは、昔から競馬は貴族の遊びであり、もともと高貴なモノだったのだ。ラスベガスは、長い時間をかけてギャンブルの環境を整えてきた。これは、ギャンブルのイメージを良くしただけではなく、誰にでもギャンブルという高貴な遊びに触れるチャンスを提供したと思う。そして、ラスベガスはタブーで街を発展させたのではなく、高貴な遊びで街を発展させたと言うほうが良いのではないかと私は思うのである。


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