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2006年度ゼミ論

      ジャズを通して考える
     黒人のメッセージ


                            大類 翔一

 ジャズは黒人文化を代表する音楽であるが、黒人たちはジャズを通して私たちにメッセージを発したのではないだろうか。そのメッセージとは何か。スゥイング・ジャズとモダン・ジャズの2大ジャズを中心に考えてみた。

 ジャズは当初、白人社会の間では黒人音楽ということで、低俗な音楽というレッテルを貼られていた。しかし、アメリカで社交ダンスが流行すると、バック音楽としてジャズが採用された。そして白人たちの間でも次第にジャズが流行するようになった。

 黒人たちにとっては自分たちの文化が白人社会に認められたことで喜びがあった。しかし、スゥイング・ジャズが絶頂期を迎える1930年代には黒人よりも白人が演奏するジャズが主体となっていく。

 黒人差別という理由もあるが、一番の要因は人々が求めている音楽を簡単に作り上げることができる「アレンジ」という西洋音楽の技術である。アレンジを用いなかった黒人ジャズは表に出てくることが少なくなった。表に出なくてもその裏ではじっくりと反撃のチャンスをうかがっていたのではないかと思う。
 
 そして1930年代後半、ジャズを通して黒人差別打破を訴えたミュージシャンが登場した。ビリー・ホリディという黒人女性ジャズシンガーである。彼女は「奇妙な果実」という歌を出した。今まで「恋」を主題とした曲を出していた彼女が、白人のリンチによって殺された黒人の姿をありのままに描き、社会的主題を扱った曲を発表したのである。

 なぜこのような曲を残したのかというと、彼女の父親の死が考えられる。彼女の父親は第一次世界大戦で負傷した。しかし終戦後、黒人という理由でどこの病院も父親を受け入れてくれず亡くなってしまった。この出来事がきっかけで差別に立ち向かうと心に決めたのではないだろうか。

 第二次世界大戦の影響で娯楽が規制され、スゥイング・ジャズは衰退した。このチャンスを待っていた黒人はスゥイング・ジャズに代わる新たなジャズを誕生させた。それがモダン・ジャズである。

 第二次世界大戦後も黒人差別は南部を中心に激しさを増していた。特にアメリカの人種隔離法である「ジム・クロウ法」によって長年黒人は苦しめられた。そして1950年代に入って真の自由を求めて黒人が立ち上がった。「バス・ボイコット運動」、そしてキング牧師やマルコムXなどの活躍で公民権運動が始まった。

 公民権運動とジャズの発展は連動していると考えられる。実際にこの時代に黒人差別に立ち上がったジャズミュージシャンがいる。まずはモダン・ジャズの先駆者、チャーリー・パーカーである。彼は曲よりも自分の生活を通して黒人差別に立ち向かった。彼の生活はまさに破天荒であった。大酒、麻薬、女たらしなどまさに普通の人には真似できない生涯を送った。実はこのような生活が上品な生活をしていた白人に対する彼なりの人種差別抵抗だったのではないかと考えられる。

 もう一人はチャールズ・ミンガスである。彼は自らの曲を通して人種差別に抵抗した。「直立猿人」、「ハイチ人戦闘の歌」、「フォーバス知事の寓話」。どれも人種差別やアメリカ社会を揶揄する主題の曲である。

 数多くの黒人ミュージシャンのなかで、公民権運動への参加や、作品を通して黒人差別と戦った人間は彼だけである。モダン・ジャズの時代は数多くの黒人ミュージシャンが誕生しているが、黒人差別をテーマとした作品はあまりみられない。
 
 スゥイング・ジャズには、黒人文化を認めてほしいというメッセージ。モダン・ジャズには、真の自由がほしいというメッセージが込められている。人種差別は完全になくなったとはいえないが、少しずつ改善はされてきている。

 ビリー・ホリディ、チャーリー・パーカー、チャールズ・ミンガスも、できれば生きているときに差別がなくなってほしいと願っていたのではないか。彼らの曲は現在も多くのジャズミュージシャンたちによって演奏されている。もしかすると、彼らの曲が後世に差別のない平和な世の中をつくっていって欲しいというメッセージとなっているのではないかと思う。


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