中村(敦)研究室
       
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                アメリカと宗教

                                             糸畑 葵


 アメリカを知る上で宗教は欠かせないものである。アメリカ人の宗教心が強い事はよく知られていると思うが、アメリカ人にとって宗教や神はどれくらい重要視されているのだろうか。アメリカと宗教の関係から、そして日本とも比較しながら解き探ってみる。
アメリカは1776年に独立宣言をするが、各宗教・宗派の人々が入植し、13の植民地が形成されていた。宗教・宗派が異なり、利害関係も異なるといった理由から、政策も考え方も統一されていなかった。そこで、相互の違いを尊重する連邦制度をとり、そして、国家をまとめるために「共通する価値観の礎(いしずえ)としての宗教」が必要だと考えたのである。むしろ、「建国者達は、宗教に頼らなければアメリカが分裂するという恐怖感」さえあったように思われる。しかし、特定の宗派を国教とするわけにもいかなかった。だから、国教は設けず、すべての宗派が自由に宗教活動をできるようにしたのである。1791年には憲法修正で、政教分離条項が付け加えられた。
 
 今日でも、アメリカ人の宗教心が衰える事はない。普段の生活でも、当たり前のように、神の存在が意識されている。例えば、アメリカの小中学校には、卒業式や入学式といった式典の時のみ日の丸を掲示する日本とは違って、教室の黒板の横に必ず星条旗が飾られているのである。アメリカでは、学校教育のことあるごとに各教室において、子供たちが星条旗の前で胸に手を当てて、「私たちは神の下にひとつになった自由と正義の国、合衆国に忠誠を誓います」という『忠誠の誓い』を暗唱させられるのである。また、政教分離が設けられているが、大統領が、大統領就任式やその他の行事でも、ことあるごとに“May God Bless America” (アメリカに神の祝福がありますように)とか「神を信じる」と言ってスピーチを終えることがよくある。このことについても、アメリカ人の多くはまったく不思議に思っていない。アメリカの大統領はしばしば神について言及するが、イエス・キリストについて公式な場で語ることはない。「キリストのお導きがありますように」とは言わないのである。イエス・キリストについて語ると、ユダヤ教徒を排除することになるからである。大統領が演説で引用する聖書の言葉は、キリスト教、ユダヤ教に共通する旧約聖書を中心に選ばれている。
 
 さまざまな矛盾点も見られる様に思うが、アメリカと宗教は切っても切れない関係である。特定の宗派ではなく、キリスト教的考え方がアメリカ人にとって無意識の宗教になっている。アメリカには見えざる国教があると考えたとき、それはきわめてキリスト教に類似しているが、キリスト教とは一線を画した独自の宗教である。それはまさに「キリストなきキリスト教」(池上彰より引用)といった感じである。

 1977年に大統領に就任したジミー・カーターは、大統領時代を振り返って、「私はこれまでの人生で祈ったより、多く祈った。 私の下した決定が常に正しかったと主張することはできないが、祈りは私を助けてくれた。少なくとも祈ることによって私は毎日私の果たさなければならない責任と相対する時でも、怖気や絶望感を抱かなかったからである」と記している。これは、祈ることで支えられている、神がいるありがたさはもちろんであるが、祈れる場所がある事が助けになり、自分を励ましてくれる、という事が言えるのではないだろうか。この事は、カーターだけではなく、アメリカ人にも言える事であろう。宗教を信仰している事、または宗教についての理解がある事はアメリカで生活してく上で、なくてはならない事である。また、宗教からアメリカを探ることはアメリカという国を知る上で、重要な事であると言えるだろう。



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