中村(敦)研究室
       
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       ミュージカル―日本とアメリカの比較― 

                                      石田 加奈子



 ミュージカルの歴史を調べ、日本とアメリカのミュージカルを比較する。1826年7月4日、アメリカ独立50周年記念日にあたる日に、ペンシルヴァニア州のピッツバーグでスティーブン・フォスターが誕生した。フォスターは、アメリカのヒットソングを生み出した人だ。讃美歌や子守歌には、幼児時代から親しんでいた。フォスター家には黒人の召使がいたので、黒人霊歌もフォスターの感性に影響を与えたようだ。こうして生まれた曲が、「オールドブラック・ジョー」、「故郷の人々」、「ケンタッキーの我が家」、「おお・スザンス」などだ。この当時、ミンストレル・ショーという黒人の演芸があった。その芸風が、国民的歌手といわれたアル・ジョルスンに影響を与え、そして彼はアメリカ庶民に親しまれ人気がでる。フォスターがミンストレル・ショーの一座に入り、最初に書いたのが「故郷の人々」。それがヒットし、「おお・スザンス」も有名になっていく。フォスターの名曲は移民たちが持ち込んだ音楽からできていて、やがてミュージカルの土壌がアメリカにも根づいていった。

 日本にミュージカルが広まったのは、日本が高度成長期を迎えた1960年代。テレビが急増し、情報量が豊富になったことがきっかけであり、海外への旅行が安易に行けるようになったことも一因だ。1963年に東京宝塚劇場は、ブロードウェイ・ミュージカルの「マイ・フェア・レディ」を日本バージョンで初公演する。公演は成功し、翻訳ミュージカルが一気に花開く。日本で成功したミュージカルには、「サウンド・オブ・ミュージック」、「マイ・フェア・レディ」、「キャッツ」、「ピーターパン」、「ヘアー」、「ゴスペル」、「ライオンキング」などがある。東京にもブロードウェイのような現象をもたらした。ロングランが続き、北海道で公演が決定したものもある。

 80年代にバブル全盛期が到来したおかげで、ミュージカルに人気がでる。日本でミュージカルが人気になり、日本は日本なりのミュージカルを作り、和の要素や日本情緒などを取り入れ、いろいろな人に見てもらおうと、創意工夫をこらす。日本のミュージカルには、アメリカで公演されているものもある。日本人は英語で台本を覚え、アメリカにも伝わるように公演している。アメリカからの評価が高く、日本のミュージカルは今後も人気が出ると思う。

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