中村(敦)研究室
       
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   コカ・コーラはどのように成長したか

                                       辻田 瑛美


 現在、世界中で愛され続けているコカ・コーラ。様々な清涼飲料水が販売される中、激しい競争の中で成功を遂げ、今となっては清涼飲料水が売られている場所では目にすることが多いコカ・コーラ。しかし、これほどまでに成長する事が出来た背景には、コカ・コーラの最初の姿から、成長の過程、コカ・コーラがトップに立つ理由がある。これらの真相を掴むべく、コカ・コーラが愛され続ける理由に着目して考えた。そして、ますます健康志向が高まる中で、糖分たっぷりのコカ・コーラは生き残ることができるのか、今後のコカ・コーラにも注目したい。

 1886年、アトランタの薬剤師、ジョン・S・ベンバートンによってコカ・コーラは作りだされた。コカ・コーラの香りには薬のような独特な香りが感じられる。初めは、究極の薬であり、完璧な飲み物である新しい薬を作りたいとして誕生した新薬。これこそがコカ・コーラであった。ベンバートンは自宅の庭に鍋を持ち込み、何度も繰り返し実験に勤しんでいたという。鍋の中身は水、砂糖、コカの葉、コーラの実などであった。これらを煮詰めたシロップを薬局で売り出したのだ。最初のコカ・コーラには、麻薬コカインの原料であるコカの葉、カフェインを多く含むコーラの実などが含まれており、相当刺激の強いシロップだったに違いない。お客には、シロップを水で割ったものを提供していた。しかしある日、間違えて炭酸水で割ったものを客に提供してしまった。このミスが客にうけ、コカ・コーラは水ではなく炭酸で割るようになった。客たちはこの泡立つ飲み物を大いに気に入り、喜んでコカ・コーラを飲む様子を見たベンバートンは、コカ・コーラの将来が約束されたと感じていた。ベンバートンは、もっとたくさんの人々にコカ・コーラを飲んでもらう為、赤字を覚悟で無料試飲クーポンを発行した。さらに、広告費に総収入以上の額をつぎ込んだのである。どれほど、ベンバートンがコカ・コーラという商品に自信があったのかを感じることができる。しかし、衰える健康、限られた資本の中、ベンバートンの時代は終わりを迎える。

 1892年、新たな担い手によってコカ・コーラは急激な成長へと導かれた。コカ・コーラの株を100パーセント手にしたのは、薬剤師キャンドラーであった。キャンドラー自身コカ・コーラの愛飲家であり、成功間近にあった事業を全てたたみ、コカ・コーラ事業に専念した。キャンドラーの時代に、コカ・コーラには麻薬成分が含まれているという噂が噂を呼び、人々の間に広がった。キャンドラー自身、コカ・コーラのファンであり、コカ・コーラに対する自信があった。もしもコカ・コーラが人々の健康に害を及ぼすならば、コカ・コーラ製造を即座にやめると。コカ・コーラ独特の香りを保ちながらも、コカイン成分を抜くことに成功したのだ。コカ・コーラの成分は、コカ。コーラという商品を守るため、トップシークレットとされている。様々な類似品から身を守る為、肝心な風味はナチュラルフレーバーとしか示されていない。コカ・コーラの戦いは続く。ライバル社であるペプシが、コカ・コーラを追い抜こうとする。戦略はダイエットコーラである。カロリーゼロをコンセプトに客を惹きつけていく。ペプシコ社はカロリーを気にする客のニーズにいち早く注目したのだ。現在のアメリカではノンカロリー以外の炭酸飲料水を締め出す運動も行っている。食生活が高カロリーな上、ほぼ砂糖水に近い飲み物を飲んでいては、将来が恐ろしい。コカ・コーラも同様にダイエットコーラを生み出す。コカ・コーラはトップの座を譲らない。コカ・コーラがトップに立つ理由とは何か。それは過度にコカ・コーラを売り込むのではなく、本来的な価値、サービス、顧客との好ましい関係維持にある。

 清涼飲料水売上市場トップに立ち続け、誰もが知っている、コカ・コーラ。このような成長へ導いたのは、ベンバートン、キャンドラー、そしてコカ・コーラを愛する人々である。コカ・コーラを愛飲する人にしかわからない魅力がたくさんある。ダイエット志向が高まっていく中、コカ・コーラは生き残ることができるのだろうか。この先も変わらず、愛され続けるのだろうか。今後のコカ・コーラに注目したい。
 

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