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2005ゼミ論

キング牧師とマルコムXについての考察

渡辺 大樹


 アフリカの黒人史の中のほとんど同時期に、キング牧師とマルコムXという人間が生き、二人とも若くして殺されてしまう。キング牧師とマルコムXがどういう環境で、どういう考え方をするようになったのか、合意点はなかったのか、そして彼らの死について考察してみたい。
 
 1955年、キング牧師が公民権を求めて運動を起こす。1964年、公民権法が成立するが、日常生活の中では差別が続いていくだろうという事を北部の黒人達は知っていた。そこで暴動が起こり、キング牧師の非暴力直接行動への疑問も広がっていく。そんな中、白人社会から離脱して黒人だけの社会を作ろうとするマルコムXの主張が支持を受ける。
 
 ここで、キング牧師とマルコムXを比較してみる。キングは南部の聖職者の家に生まれ、豊かに育ち、大学院へ進み博士号を獲得する。キリスト教を信じ、白人との人種統合を願い、非暴力を訴え、ベトナム戦争に反対するようになる。一方マルコムは、北部の聖職者の家に生まれるが、父はパートタイムの説教師で、父の死後一家は離散する。マルコムは15歳でボストンへ行き、薬物に手を出して強盗をするなどで刑務所に入る。その中で多くの本を読み、イスラム教に目覚める。出所後、「ネイション・オブ・イスラム」(NOI)の指導者ムハマドに会い入信する。「X」という名をもらい、NOIのスポークスマン的存在となるが、その後NOIを去る事となる。NOIの時は白人と黒人の分離主義を唱えているが、NOIを去ってからは「自己愛、自尊心、自己防衛を常に訴える」というように考え方が変わってくる。このように二人は同じ黒人でありながら、異なった環境で育ち、異なる主張をしている。しかし、「黒人は立ち上がって自分の権利を要求すべきだ」という根本的な考え方は同じであっ
た。もし、二人とももう少し生きていたのなら、もっと合意できる点があったのではないかと考えられる。
 
 次に、二人の死について考えてみたい。キング牧師は、「1968年4月、テネシー州メンフィスのローレイン・モーテルのバルコニーに立っているところを一人の暗殺者によって撃たれた」と書かれている。他の本にも同じ様にしか書かれていない。マルコムXは「1965年2月、アフロ・アメリカン統一機構の集会で演壇に立った時、会場で揉め事が起こり、それを止めに彼のボディガードが移動して演壇の前の警備が薄くなった時、前にいた三人の男がマルコムの方へ駆け寄って銃を乱射した」とある。彼については、黒人が逮捕されたというが、その後の事は、はっきり書かれていない。そこで自分なりに考えてみることにする。
 
 キング牧師は、ベトナム戦争に反対をし、反体制的になっていった。国家にとっても都合の悪い存在となってきたので、最初は国家(政府)によって暗殺されたのではないかと考えた。しかし、可能性は白人にも黒人にもある。黒人には、非暴力への反対や、ベトナム戦争に反対した事に対する不満があった。白人はというと、もちろん中にはキング牧師の考えを理解してくれる人達もいただろうが、「白人と黒人が同じテーブルにつこう」等という考えについていけない白人も多くいただろうし、一番面白くなかったのは、やはり「白人」であったのだろう。マルコムXについては、彼は白人に対して大変厳しい事を述べているので、最初は白人によって暗殺されたのではと考えた。しかし、NOIを去ってから、NOIとの考え方も変わり、NOIとの関係は上手くいっていなかった。マルコム自身もNOIによる暗殺計画を察していたようである。
 
 したがって、悲しいことだが、キング牧師は彼が愛していた白人によって、マルコムXは自分が解放しようとしていたにもかかわらず同じ黒人によって暗殺されたと考察する。

             

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