中村(敦)研究室
       
ホーム
ゼミナール
授業の紹介
英語の学習
◆アメリカの文学
◆リンク
過去のお知らせ
                                        
ホーム ◆ゼミナール ◆ゼミ論


2005ゼミ

アメリカ映画の歴史と現状

河合 愛弓


 アメリカ映画は圧倒的な映像によって、私たちを刺激し続けている。映像のすごさという点では、疑うことなく世界一であるに違いない。そして、ひとつの物語を世界中の人々に浸透させるという点においてもアメリカ映画は地球上で最強のメディアであることは歴然としている。はたして映画はどのように誕生し、発展していったのか。今や、世界最大の映画生産地となっているハリウッドはどんな人たちがつくったのか。そして、現在でも世界中で起こっている戦争やテロは映画と関わりがあるのだろうか。

 映画は1893年、アメリカでトマス・エジソンが最初の「キネトスコープ」を発表した時に始まった。エジソンの「キネトスコープ」は小さな機械の中に映し出される映像を、一人ひとりがのぞき込んで見る形態のものだった。そして、アメリカ映画は全盛期に世界の映画の約80パーセントを製作するという映画大国となって全世界に君臨した。1893年に映画が誕生してから1927年に映像と音声を一致させて映写する映画「トーキー映画」が誕生するまでは、映画は無声の「サイレント映画」だった。英語の理解や読み、書きの能力を必要としないものだった。そのため、当時のアメリカでは映画は英語がわからない移民を中心とする労働者や小市民階級からの支持を受け大衆娯楽として発展していったのである。

 今やアメリカ映画の代名詞とまでなっているハリウッドは、ほとんど移民たちによって作られたと言える。映画という新しいメディアを発展させたのは、東欧からやって来たユダヤ系移民たちだった。英語もろくに話せない貧しい移民たちが、映画をアメリカに根付かせた。エジソンは1900年代に映画製作企業の合同企業を形成して同産業の独占を図り、エジソンの機械を使わなければ映画を作れないようにした。そのため、ユダヤ系移民の商人たちはエジソンの撮影機の特許で勢力を張る製作会社の妨害を避けるために、当時は未開の地に等しかった南カルフォルニアの「ハリウッド」へ撮影場所を移したのである。映画産業が拡大するに連れて、徐々に製作の拠点はハリウッドへ移っていった。やがてハリウッドは夢の工場として発展していったのである。

 映画の歴史が約100年であり、映画は戦争とともに発達してきたという。第二次世界大戦中の1940年代には、「暗黒映画」が流行し、戦勝目前には戦争に恐怖し戦死する兵士を描いたリアリスティックな作品が作られた。この年のハリウッド映画は戦争に影響され、戦争に関する映画が多々作られた。ベトナム戦争の時代である1970年代の映画は、映画でしか表現しえない戦争の悪夢を描きベトナム戦争について語りはじめ、国民的意識を作り上げた。

 2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービル二棟とワシントン・ペンタゴンに対する同時多発テロによって、世界は新しい戦争を迎えることとなった。このアメリカ同時多発テロに対しアメリカ政府はハリウッドへ戦争協力要請をしたという事実があり、ハリウッドは承諾した。ハリウッドは公開を延期していた激しい戦闘シーンのある戦争映画の公開を早め、さらにはアメリカ国民の気概を高めることをめざした短編映画を無料で公開したという。このようにテロが映画に影響を与え、映画が戦争に影響を与えたということがいえる。

 移民の国であるアメリカによって映画は発展していき、大衆文化となった。今回アメリカ映画を考察して、アメリカ映画は、アメリカ人ではなく移民たちが中心となって広めていったため、世界的規模の映画産業に成功し、受け入れられていったのだと思う。移民が多いアメリカで作られているからこそ、アメリカ映画は世界的に広く慕われているのかもしれない。そしてこれからも、アメリカ映画はさまざまな技術を発展させ、世界を驚かし、魅了し続けるであろう。


 トップ アイコントップページへもどる