中村(敦)研究室
       
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アメリカの食文化

 

杉村 さくら

 

 アメリカの文化のひとつを取り上げるにあたって、私は食文化を選んだ。その土地の文化と食べ物とは、切っても切れない仲だと思ったからである。食に関する情報は多いが、その中から、3つのトピックを取り上げて調べていった。調べていくにつれて、予想もしていなかったおもしろい事が見えてきた。

 まずはレストランについてだが、アメリカ人はレストランのことを、ただ食事する場所だとは考えていない。テーブルを囲んだ者同士、また、客とウェイトパーソンとのコミュニケーションの場でもあると考えている。そのため、メニューにも、料理の印象を一瞬で決めてしまうような写真は載せていない。メニュー選びの時間さえも、コミュニケーションの時間へと変えてしまうのだ。

 次に、中華レストランに目を向け、食事の最後に必ずサーブされる、フォーチュンクッキーについて調べた。これは二つ折りにした一口大の薄焼きのクッキーの中にフォーチュン(果報)が書かれた、幅1cmほどの紙切れが入っているお菓子のことだ。このクッキーは今や企業のコンファランスやショー、個人のパーティーでも登場するようになったが、中国にも日本の中華料理店にも存在しない、アメリカ特有のものだ。ところが、このクッキーを生み出したのは日本人であるというのだ。1894年、サンフランシスコのゴールデンゲート・パークにジャパニーズ・ティー・ガーデンを作ったマコト・ハギワラが、庭園を訪れる客のお茶請けにと、お煎餅を二つ折りにして中にちょっとした言葉を忍び込ませた。これがフォーチュンクッキーの始まりである。アメリカ生まれでアメリカ育ちのフォーチュンクッキーの生みの親が、他ならぬ日本人であった事に驚いた。 ハギワラ氏が日本の文化を紹介するために考え出したものが、今ではアメリカの文化として存在しているのだ。

 最後に、アメリカの子供たちの大好物、ピーナッツバター・サンドイッチについて。ピーナッツバターは、1890年にセントルイスの内科医が発明したものだが、それがサンドイッチの形をとったのは第二次世界大戦の兵士たちの食事としてであった。帰還兵から広がり、国民的な食べ物になったのだが、帰還兵をルーツに持つ食べ物が他にもある事がわかった。それらは、アメリカのレストランで用意されているキッズメニューになっている事が多い。例えばミートローフは第一次世界大戦の時に、ミートボール・スパゲッティは第二次世界大戦の時に生まれた兵糧食だ。なぜ兵士と子供たちの味覚が合致したのだろうか。これは憶測だが、戦場という恐怖の淵に置かれた兵士たちの味覚が子供時代に回帰したからではないだろうか。アメリカは、大人と子供の境界がはっきりしない。大人が永遠の子供でいられる、稀有な国なのだ。だからピーナッツバター・サンドイッチは、幅広く愛されているのだろう。

 ひとつの食べ物について調べていくと、必ず歴史的な事や文化となった理由が見えてくる。私はこのテーマを食文化にして本当に良かった、楽しい、と思う。これからもアメリカ食文化の不思議について調べていきたいと思う。

 


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