日本野球とベースボールにおけるメンタリティー

田渕 祐介

 

 日本の野球とアメリカのベースボールはルールが同じでありながら、野球に対する考え方や姿勢が大きく違う。しかし、それはどうしてなのだろうか。それぞれのベースボールの歴史や価値観に焦点を当てながら、選手個人が持つメンタリティーの違いを考察していきたい。

日本にベースボールが紹介されたのは、明治五年(1872年)にアメリカ人教師によって伝えられたのが始まりである。当時は、プロが存在していなかったので、スポーツに最も近いところにいた大学生にまず教えられ、徐々に中学生、小学生へと広がっていったのである。また、当時は、国家意識が称揚されていた時代でもあったので、野球を楽しむというよりも、「勇気」、「名誉」、「忠誠心」といった精神を結び付けて、「勝つこと」に目的をおいた野球が作られていったのだ。

現在でも日本の野球では、そのような精神や考え方が強調されている。例えば、「千本ノック」、「全員野球」、「大和魂」といった言葉や応援弾幕は高校野球などで未だによく使われているし、日本野球が敬遠や犠打が多いのもチームのためであれば自己犠牲を払ってでも最終的にチームが勝てば良い、といった勝利至上主義的な考え方が強いのも特徴的であると思う。

これに対して、アメリカのベースボールはまず、第一に選手自身がゲームを「楽しむこと」に目的がある。そもそもベースボールは子供たちやお年寄りの間でボールを打って草の上で遊ぶという誰もができる簡単なゲームで、娯楽の一部であった。それが次第に「子供から大人」へと発展していったのだが、この遊ぶ、楽しむという感覚はそのまま現在のベースボールに引き継がれていったである。

例えば、日本では“game”を「試合」、“player”を「選手」と呼んでいるが、 アメリカではこの“game”や“player”を「遊び」や「ゲーム、気晴らしをする人」いう感覚で捉えており、遊びや楽しみといった娯楽の側面が強いことがわかる。

また、メジャーリーグのある選手は“野球はグランドに出て自分のベストを尽くし、その時間を楽しむ。そうすることで自然と笑顔が出るし、試合で自分がしたいことを思い切りできるもの”とも語っており、ベースボールが楽しむものと認識されていることがわかる。

このように「アメリカでは楽しむことができるから、自分の力を最大限に出すことができるし、結果も出せる」と考えるのに対して、「日本ではとにかく苦しんでも、それを乗り越えて、勝つという結果さえ残せば楽しくなる、喜びにたどりつける」と考えるのだと思う。この日米のメンタリティーの違いはベースボールの発展過程が全くの逆であること、そして、それぞれの道徳観がベースボールに深く入り込んで生れたものと言えるだろう。

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