演劇を通しての日本とアメリカ

本間 友理枝

                                              

「演劇」についてゼミ論を書こうと思ったのは、「演劇」が私たちに身近な題材であるということと、アメリカと日本の演劇文化(芸術)を両方の視点から見てみて違いはあるのかどうか、を素朴に感じたからである。演劇を通じての比較文化が出来たら、と思ったからでもある。

「演劇」と聞いて、考えるものは人それぞれ違うであろう。日本人であれば、日本の伝統芸能の「能楽」や「狂言」を、アメリカ人であれば、「ブロードウェイ・ミュージカル」など。それはさまざまである。日本の演劇文化といえば、「能」「狂言」など日本古来の伝統的なものを思い浮かべるだろう。「能」や「狂言」は伝統的で今でも日本に受け継がれているが、実際にこれらに長けている人や、興味のある人は少ない。

一方、アメリカの演劇文化、アメリカミュージカルは特に、1970年以降は資質的に変化を見せ始めている。ダンス重視のもの、これといった筋のない作品のもの(例『コーラスライン』)、今までになかったロック・ミュージカル、など様々な形で、「ミュージカル」というものの可能性が大きく広がったからである。形はバラバラで、文学性の欠如とも捕らえられるが、現代芸術に共通する特徴を持っているため、一種のエンターテイメント、そしてアメリカ文化の一つとして、人々はミュージカルを身近に感じ愛するのではないだろうか。ブロードウェイ・ミュージカルが、年々ファン層を広げている理由と考えられよう。

2年前のテロや、歴史的事件をも題材としたミュージカルが大衆の心に残り、ミュージカルを愛し、支持する人びとが多くいることは事実で、日本の能楽に関しても、今でも多くのファンがいる。更に日本のファンだけではなく、アメリカ人(外国人)にも、多くの人に好かれている。 ミュージカルは、歴史的事件を題材としたミュージカルだけと言えることではない。ミュージカル、それは、アメリカが深く伝統を持たなかったからこそ、様々な要素や、無い物を吸収し、ミュージカルというアメリカ的なジャンルを確立させた。 人びとの心の中に、根付いたミュージカルを愛する心があるからこそ、アメリカにとってミュージカルはなくてはならない文化なのである。

アメリカから見た演劇文化、日本から見た演劇文化、双方とも表現する方法が違っているが、根本的に同じではないか。日本古来から根付いている、「能」や「狂言」についても、人びとから支持を受け愛されていなければ、こうして伝統的な日本文化にはなっていないだろう。演劇を通して、互いの国の文化は、感じ方や、表現の仕方は違うが、アメリカも日本も文化的には違いが無い。根本的に本質は一緒である。文化というものは、成長させるのも、衰退させるのも、人びとの心次第なのだろう。



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