仲宗根 雅美

              沖縄から見えるアメリカ文化


 私の出身地である沖縄県は、第二次世界大戦で日本で唯一の地上戦を経験し、多くの民間人が犠牲になった。以後アメリカによる支配を受け、日本への復帰は1972年という複雑な歴史を持っている。その間、沖縄はアメリカからの影響を受け、今でも伝統的な沖縄文化の中で残り続けている。戦後、二つの文化が影響し合いながら成長してきた沖縄県から、どのようなアメリカ文化が見えてくるだろうか。
 私が沖縄から見えるアメリカ文化でまず思い浮かぶのは、やはり米軍基地である。国内の約75%以上もの基地が集中しているため、県民は絶えず米軍によるひき逃げやレイプなどの犯罪、騒音や環境汚染などに悩まされている。しかし、そのおかげで失業者が減っているという事実もある。基地の中で働く「軍作業員」だ。その軍作業のはじまりは、沖縄戦が終結した頃である。軍作業とは米占領軍のために働くことではあったが、沖縄の人がアメリカを知り、その文化に接したり、新しい技術を習得する場であった。そしてそれは、現代でも続いている。
 異文化においての出会いも戦場に始まった。戦争が終結し、収容所に収容された住民たちが無償で支給された食料、衣服、寝具などの生活物資はそのほとんどがアメリカ軍の軍需物資であった。今でも米軍払い下げの店や古着屋に行くと、アメリカ人の着ていた服やかばん、小物などを手に入れることができる。
 また、戦後は米軍統治下におかれ、アメリカ人の生活様式や慣習に直に触れてきた沖縄県は、そうした異文化接触の中からアメリカの食文化が入ってくることになった。終戦後の食料供給は、米軍占領軍に依存するしかなく、現地調達のわずかな農作物以外は、もっぱらアメリカ食料品の恩恵に浴した。すべての住民が飢餓状態のさなかに味わった米軍軍需物資の品々は、カルチャーショックと共に、忘れ難い味として記憶されているであろう。そのことが、住民の嗜好や食生活を変容させる要因になったのではないだろうか。 
 沖縄人の気質やライフスタイル、時間の流れにおいても、日本というよりはアメリカに近いと感じるところがある。それはやはり、地上戦のあと基地ができ、アメリカ人たちと共存して住んできたということが一番大きいと思う。その基地があることで、様々な問題が起こり、何度となく対立を繰り返しているのも事実だが、戦後、沖縄県がここまで回復し、発展していけたのも基地やアメリカ人やアメリカ文化のおかげである。沖縄の人々が本土の人に比べて郷土愛が強いのも、「沖縄人」ということに誇りをもっているのも、アメリカと融合した独自の文化を築き上げ、今なお前進し続けているからであろう。
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