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アラスカ原住民とアルコール依存症

               太田 庸子

 

アラスカのエスキモーは、他の地域と比べて、アルコール異存患者の数が極端に多い。なぜなのだろうか。この問題の背後に潜む歴史や社会の問題に目を向けて、考えてみることにする。

 1867年にアメリカ合衆国は、ロシアからアラスカを購入した。1971年のアラスカ原住民要求受け容れ法でアラスカ原住民が10億ドルと16万平方キロメートルの土地で納得したときに、彼らの土地問題は表面上解決したことになった。しかし「自分たちが元々そこに定住していたという理由でアラスカの土地を要求できる権利はあるのか、もしあるとすればどれくらいの土地を要求できるのか」という根本的な問題を先送りにしてしまっていた。また、石油で儲けたお金で事業をし、その利子を還元金として受け取ってきた。現在は、州政府からも扶養する子どもがいる家族には月に300ドルから600ドル、保健関係の経費はアラスカ原住民保健局からほとんどが支払われ、65歳以上の老人は社会保障制度があり、25年以上アラスカにいれば誰でも一ヶ月120ドルのアラスカ長寿奨励金が受けられる。彼らの社会には貨幣価値が組み込まれ、それと同時に合理主義と快適性を追求するアメリカ文化も導入された。原住民にとってお金とは自由を得る手段に他ならないのかもしれない。単なるお金の欲しさではなく、絶対的な力を持つ金で日々の苦しみを解放し、そこに自分を見出そうとしたのではないだろうか。

もう一つ、「アラスカ原住民の白人同化」が行われた。目的は原住民をアメリカ人に仕立てていくことだった。徹底的な英語教育のなかで彼らの言語は失われ、同時に文化、言語、精神的信仰、土地、独立心、そして自己認識などすべてのことを諦めてしまった。政府が、そもそも全く異なる言葉や文化や思想を持ったアラスカの原住民を同化させようと思ったことが間違いであった。

原住民も、何をするにしても白人の援助を受けなければ先に進めない状況から抜けるためにアラスカン・エスキモーとしての民族意識やアイデンティティを、見つめなおすべきだ。アルコールに依存したところで、コンプレックスが解決しないのは目に見えている。若者が同じ道を辿らないために、地域の教育委員会や学校教育を通じてアルコールの害について学ばせる必要もある。