アイヌ民族とその文化には近年とみに社会の関心が集まるようになった。しかしそのなかで力を得つつある立場は、アイヌ文化の具体的な像として、近代以前から行われてきたとされる伝統的生業、地縁集団、伝統儀礼、文様、口誦伝承、アイヌ語などのみを示している。そして現代のアイヌ民族とその文化については「わが国の他の構成員とほとんど変わらない」あるいは「様々な生活の道を選択している」と消極的にしか表現することができていない。
こうした見方はまったく誤っているわけではない。とくに近代以降のアイヌ文化は和人(いわゆるヤマト民族をアイヌ民族に対置する呼称)からの強い同化圧力にさらされてきたからである。しかしそのなかでもアイヌの人たちは近代文明と自分たちの伝統とを調和させたその時代々々のアイヌ文化を築くべく努力を続けてきた。そして現在も、周囲の和人と同じく日常の生活を営みながら「アイヌである」ことの意味あるいは「アイヌ文化」とは何かについての模索を重ねているのである。そうした近代から現代にかけてのアイヌ文化の伝承と変革の努力について考えることを目的として、本書のもとになった公開講座「北海道文化論 アイヌ文化の現在」は行われた。そのプログラムは左のとおりである(肩書は当時のもの)。
1993年
8月30日(月) 「イオマンテの近代史」
日本学術振興会特別研究員 小川 正人 氏
8月31日(火) 「アイヌ語を学ぶ子供たち」
二風谷アイヌ語教室講師 本田 優子 氏
9月1日(水) 「『ヤイユーカラの森』と伝統文化の継承」
ヤイユーカラの森運営委員 計良 智子 氏
「若者にとってのアイヌ文化とは」
民芸品店経営 秋辺 日出男 氏
9月2日(木) 「関東に住むアイヌとして」
会社員 大谷 洋一 氏
秋辺・大谷両氏による座談会
9月3日(金) 「世界における少数言語の復権運動」
千葉大学文学部助教授 中川 裕 氏
9月4日(土) 「和人にとっての民族文化」
札幌学院大学人文学部講師 奥田 統己
「私に先祖の文化を伝えた人たち」
《ビデオ出演》 白沢 ナベ 氏
本書の編集にあたっては、その後の知見や情勢の変化を踏まえてそれぞれの講師が自身の実際の講義の内容を書き改めた。ただし秋辺・大谷両氏の対談は、全体のコーディネーターである奥田の責任により、録音された当日の発言をほぼそのまま文字化した。全体の配列も講義の内容を考慮して変更した。なお最終日にビデオ出演していただいた白沢ナベ氏は公開講座終了後の十月二十一日に急逝された。話された内容のかなりの部分が『アイヌとして生きて』(日本基督教団教育委員会編、一九九三年)にすでに紹介されていることもあり、本書では白沢氏の講義を割愛した。
ここで簡単に、それぞれの講義の内容に触れておく。
秋辺日出男氏、大谷洋一氏および計良智子氏は、それぞれが自らの民族文化の伝承に積極的に取り組むようになった経緯そして自己のアイヌ文化観について述べた。特に秋辺氏と大谷氏の座談会では、これからのアイヌ文化の核となるものは何かをめぐって突っ込んだ議論が行われた。本田優子氏は、アイヌ語を学ぶ小中学生の姿と彼ら自身にとってアイヌ文化がどういう位置を占めているのかについて、身近に接しているものとしての考えを述べた。小川正人氏は伝統的なアイヌ文化の代表的な儀式であるイオマンテ(熊送り)の近代以降のありようについて主に文献資料に基づいて論じた。なお、本書に収録しなかった白沢ナベ氏のビデオのなかでは、一九〇五年に生まれアイヌ口頭文芸の語り手として著名だった同氏に、奥田が子供のころの暮らしのようすについてお伺いしている。
中川裕氏は自身の調査に基づいてサハリンの先住民族ニブヒの文化・言語復興運動をアイヌの場合と比較しながら紹介した。奥田はまとめとして、隣人である和人として、アイヌ文化をどのようにとらえるべきか、またその際和人自らの民族性や文化に対してどのような態度をとるべきかを論じた。公開講座全体をとおして特筆すべきことが一つあった。それは、コーディーネーターを務めた奥田だけでなく講師の多くが、自分の担当する日以外でも、互いの講義を聴きあい毎日の講座の終了後に活発な意見交換を行ったことである。講義の内容そのものにもそうした意見交換の結果が反映していることはみてとれる。ただしこのことが講師陣全体の見解の一致を意味しないのはいうまでもない。
アイヌ文化はこれまでしばしば、歴史的・社会的背景から比較的独立した体系として文化を研究する立場から論じられてきた。冒頭にとりあげたようなアイヌ民族・文化観も、そうした研究のあり方の上に成り立っていると考えることができる。しかし実際には、これも冒頭に述べたとおり、アイヌの民族的アイデンティティーもその文化も、時代々々の背景とともにあったのである。
同じことは本書のなかのそれぞれの講師の見解についてもあてはまる。これらはいずれも、それぞれの歴史的・社会的背景とともに読みとらなければならない。そうすることなくこれらの見解を単純化・一般化して理解したり理論構築の材料として利用したりすることは、運動・研究・報道そして行政のいずれに携わる人間にとっても、許されない。ひるがえって和人の民族性や文化に照らして考えれば、これは当然のことであろう。本講座が開催されてからすでに三年以上が経過した。開催当時奥田は、アイヌ文化がアイヌと和人のそれぞれにとって「当たり前」のものになることへの期待を表明した。その目標への道のりは、はたしていくらかでも近くなっているだろうか。
一九九七年三月二十七日夜 奥田 統己